長岡花火大会2日目

2023年08月04日

本日、長岡花火大会2日目も無事に終了しました。


昨日はS社長の会社の屋上で初日を迎えて感動したばかりですが、今日は土手のマス席でF社長と娘さん、S社長と、我々仁丸側の5名で観覧しました。

兎に角、

大迫力の花火でした。眼前いっぱいに拡がる色とりどりの大きな大きな花火と、丹田まで確実に届いているであろう爽やかな大きな大きな音、火薬の匂い、そして長岡市民の皆さんの大声援の中で、終始感動感激しっぱなしでした。いちいち感動して笑顔に成り、皆さんと食べ飲みしながら寛ぎながらの慈間でした。


終盤近くになると、いよいよ来ました。フェニックスです。


実は、

昔からフェニックスの噂はけっこう聞いていたんです。

新潟市に住んでいる時、当時契約していたお客様、都内で新潟県民に出逢うと必ずその会話はしていました。

矢張りみなさん視界に入りきらないとか、昼くらい一瞬明るく成る、音が凄い、音が凄いを通り越して最早爆発レベル、火薬が顔に降ってくる、全國から花火ファンが集まる、長岡花火知らずして花火は知れない、20,000発の花火は最早世界レベル、過去の償いすら消し去る、瞑想を超える。等々最後らへんは最早花火関係ない説まで出てくるほどに長岡花火大会とはスゴイ物だと思い続けて、はや15年の歳月が経ちました。何度か試みましたがヒトが多すぎで車が1センチも動かないというくらいの混みようなので引き返したり。

と。全て夢は叶わず。でした。


がしかし、このblogを読んでくれている方なら毎度お馴染みのF社長とS社長の誘いにより、



今日!

15年越しの夢が叶いました!



圧巻に次ぐ圧巻で、噂に違わぬその魅力を全身で受けるべく、いよいよフェニックスが始まりました。

平原綾香さんのジュピターとのコラボと、花火の曲との連携、迫力、美しさ、音の威力、会場の臨場感、周囲の歓声、素晴らしく自然と涙が出ました。

平原綾香さんはこんなにも素晴らしい花火大会で毎年曲が流れて、こんなにも大勢のヒト達を感動させるのは倖せ者だし、アーティスト冥利に尽きるのではないでしょうか。

この選曲をしたヒトは素晴らしいセンスですし、平原綾香さんがこの曲を作ったことがそもそも天才ですね。


この二日間花火大会を通して思ったのは、花火を最初に発明したヒトは誰だろうとネットで調べると、出てきたので最後にコピペして張り付けておきますね。

花火を発明したヒトも天才だなぁ〜とこんなにもヒトの心を動かすものかぁ〜と思いながら発明者への畏敬の念を抱いたいました。



平原綾香さんの天才と花火の天才がコラボしているのですから、そら感動しますよね。

っという事で、あっという間の2時間でした。時間は完全に祓っていたようです。

大迫力の音と感動で完全に大祓いが起きていました。確実に祓戸大神が降臨しておりました。


最後は、皆、決められた場所にゴミを捨てておりマナーを守っているところも美しかったです。


2日間本当に御世話に成りました。

F社長S社長、心から感謝致します。


初志貫徹!氏命を叶える!

という湧いてくるエネルギーが「自然」とその道に背中を押し、地道に進む。というのも最倖です。

ただ、ヒト様に夢を叶えてもらう。というのも格別に倖せですね。


そんな仲間がもういる時点で、和多志は既に転生してきた際の約束を本質的に半分果たしているような氣もしております。



ヒト・大地・海の還元

地救防衛隊 彌榮



ちなみに、

※世界初の花火は14世紀ごろのイタリアだそうです。日本だと思ったら違いました。

※日本での最初は、

日本でのおもちゃ花火は、いつ頃から作られ売られたかはっきりとした記録はありませんが、万治2年(1659年)、大和の国(現・奈良県)から江戸へでてきた弥兵衛(初代鍵屋)が葦の管の中に火薬を入れた初歩的なおもちゃ花火を考案し売り出し、江戸庶民に爆発的な人気を得たと言われます。

↑だそうです。